適温のブログ

必要になった時のみ運用

時は進む

1年半が経ち、各国の主力ががっぷり四つで組み合わさって来た頃です。しかしそう考えると、やはり伊海軍の足はやっと前線という感じで遅いですし、逆に独陸軍は低地諸国(オランダ・ベルギー)を取りながら侵攻するため速いですね。黒海周辺は海軍無しでは支援が届かないためすぐに停滞し、北欧は独の妨害が無かったため英独露全軍揃ってこの1902春から3つ巴の交渉対象となりました。

 

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仏土の撤退可能場所はパリ・ルールとギリシャです。

 

結果的に仏は伊のブルゴーニュと西地中海への侵入を許しました。しかしピエモンテがSOで海軍がマルセイユに戻ったため、南側は海軍2揃えれば簡単に守れますし、ブルゴーニュをパリに撤退させれば、ブルゴーニュに3軍攻撃ですぐに取り戻せます。まだまだ仏は固いと見えます。伊の海軍が2隻ともこちらに来ていれば多少攻略の道も見えてくるところですが、現状だと工夫が必要そうです。東に行った伊海軍はアピュリアがホールドである事から輸送用途に見えます。ギリシャを陸軍上陸で取るのでしょうか。土領まで行くには海軍が不足するのでqそれをギリシャで賄う事は可能ですが、そうすると伊の拠点数が6になります。伊は本土こそ狙われづらいですが、取得した領土の維持が不安定なので、反転して削られるのには注意が必要です。土は黒海を取り返しましたが、露がセヴァストポリに上手く海軍を引いた事で黒海からの有効な支援が難しくなりました。露の余剰陸軍を使えばセヴァストポリを守りながら支援カットが可能です。露の南軍は対土の構えを崩さない一手だったと言えるでしょう。その隙に墺がブルガリアを奪取。ギリシャに撤退可能ですが、戦力差から押し潰される可能性が高いです。対して露の北軍は英に協力する形でデンマーク攻撃でしたが、維持支援された上独海軍のバルト海進出を許しました。英露仲が良いのは珍しいですが、それは独包囲網の結成を意味します。独はキールからの維持支援でデンマーク維持には成功したものの、ルールを空けてしまい結局対仏の一手ブルゴーニュ攻撃は秋に失敗する目算が立ってしまっています。

 

全体的に見て膠着する西欧と少しずつ盤面が進む東欧という形は崩れていないように見えます。ただこれでも盤面に変化は起きており、それは特に露が英に付いたことが大きいと思います。現状伊露が大きいですが、もしここが組めているのならどうやってお互い拡大するかを話すと思いますし、お互いに出し抜き方も考慮していく必要があります。他国はトップ目争いのそういう「出し抜く気持ち」の部分を揺さぶりWin-Winの利益を提示するなど、盤面をひっくり返す計画を立てていく必要がありそうです。